カテゴリ: 医療

今回、信大の入院からあづみ病院退院まで、実に69日間の入院生活でした

信大の方は約2週間程だったけど、あづみ病院は50日以上いろんな事がありました。

事件?編」や「途中経過編」でも書いたけど、入院前から精神的に不安定だったり、全く知らない場所でコロコロ環境が変わったり、そんな時に心無いムカつく一言を言われたり…。

私の事をよく知っている人は知っている事なんだけど、実は超がつく程の人見知り
なので、初対面の人とは全く話しません。
そうでなくても、相手の雰囲気によっては、こっちもメチャクチャ警戒したりして
それは相手が看護師さんでも同じ。

だから、全く初めてで知らない人ばかりだと、ものすごいストレスな訳です
あづみ病院転院後しばらくは、ほとんど言葉発さずでした(笑)

そんな入院生活を支えて下さったのはBチームの看護師さんたち。

中でも、受持だった事もあるけど、一番関わりがあったのはI川さん。
出勤の時はほぼ間違いなく部屋の担当に。
2回程、夜勤の時にいるんだけど担当じゃない事があって。
でも、その時も勤務交代の時に必ず顔出して下さって、その後も「もう担当代っちゃおうよ?」と言いたくなるくらい部屋に来てくれて
もはや担当が2人いる状態(笑)

早番の時も、病棟に来てすぐに部屋に来て下さったし。

すごく心配して気にかけて下さっているのが伝わって来ました。

扱い難い奴でスミマセンでしたm(_ _;m)三(m;_ _)m
でも雰囲気や話し方も優しくて、師匠に似た感じだったからかなぁ…。
ホントはI川さんが担当の日はホッとしたし、メチャクチャ嬉しかったです
受持看護師がI川さんで良かった


そしてもう一人、M田さん。
何気なく話しかけてくれて、いつの間にか話す様になって、よく一緒にIさんの(良い)噂話をしていました

私が凹んでいると、いち早く気付いて話を聞いて下さったのもM田さん。
でも無理に話させようとはせず、「言いたくない時は言わなくてイイ。でも話したくなったら、その時はいつでも話聞くから言って」と、決して無理強いしない所が嬉しかった。

I川さんとM田さんは、特に大好きだったお二人

この前の金曜日(13日)、夜勤明けだったI川さんに、時間がない中、歩くのを少しだけ付き合っていただいてて、途中でM田さんとバッタリ会ったら、その日部屋の担当と言う事で3人で一緒に部屋へ。

そこで一緒に写真撮っていただきました。
許可を取ってないのでアップはしませんが、
本当に素敵なお二人です


あづみ病院は固定チームナーシング(一定期間、固定されたチームメンバーで、同じ部屋を受け持つ方式)

長所は、患者さんの受持がハッキリしている事。
なので患者さんは「この方が自分の担当なんだ」と言う事がわかって、看護師側は「自分の担当の患者さん」として、継続して見ることができる。チームメンバーも患者さんの情報を共有しやすいと言うのがメリット。

今までいくつもの病院に入院して、固定チームナーシングを採用している病院も多数あったけど、どこも上手く機能していなくて…。
でも、あづみ病院は…と言うか、ここの病棟はホントに上手くこの方式が機能しているなぁと思いました。

I川さんがお休みで不在の時も、チーム全体で見て、見守ってくれている感じがしました。

もちろん他の看護師さんもイイ方ばかり。

転院先があづみ病院で良かった

多分、このブログを見ている看護師さんは誰もいないと思いますが、約2ヶ月本当にお世話になりました。
おかげでフリーハンド歩行と言う目標を達成して退院することが出来ました。
ありがとうございました。

5月15日 日曜日。

今日、いよいよ退院の日となりました
信大入院から今日まで、実に69日間の入院生活
あづみ病院だけでも54日間入院していました。

ナゼか?昨夜はほとんど寝られず、1時間程ウトウトした程度

8時に朝食が来ても食べる気が起きなくて…。
でも食べないと、「コレ食べるまで帰らせないよ」と言われそうだよなぁと思いながらボーッとしていると、勤務交替して日勤の担当で部屋に来たのは受持看護師のI川さんΣ(・ω・;)

良かった〜最後に会えた
と思ったのも束の間。「食べないと今日一日もたないよ」と 確かにそうかも…

食べられそうなモノだけは食べて、薬などを受取り、後は着替えるだけ。
少し休憩して着替えたら準備完了

何かメッチャ寂しい

部屋を出る前に、忘れ物がないかを一緒に確認。
どう言う訳か?入院前より荷物が増えてる〜
半端なく重い…

その重い荷物をI川さんが持って下さって、ステーションの前でチームの他の看護師さんにもご挨拶「お世話になりました」m(_ _)m

そう言えばKクンの姿がない…。
聞いたら探して下さって、何とナースステーションからIさんが持っていたはずの私の荷物をKクンが抱えて出てきました

そしてそのまま車まで運んでくれて。
重いのにありがとう

I川さんはエレベーターの前で、手を振って見送って下さいました。
(ヤバい泣きそう…)
Kクンいなかったら間違いなく泣いてたなぁ。

車に荷物を積んだら出発
ほたかを迎えに行きました。

30分程で到着し、2ヶ月以上振りにほたかに再会しました
ちゃんと覚えててくれた良かった〜

家に戻る途中、大町の常盤にあるジェラート屋さん「花彩」に立ち寄りました。
以前は白馬のみそらの地区にあったんですけど、一年半前に大町に移転しました。

退院の日にどうして行きたくて(笑)

留守の間、家の状況を見て下さっていたお隣さんへの手土産をテイクアウト
「花豆」だけ別で購入して車で食べて帰ったんだけど、それだけでもうお腹一杯に
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お昼ごはんいらない

国道を走っていて、うーん見慣れた景色
懐かしい〜

でも、病院を出る前に「コレからは日常生活がリハビリだからから、ゆっくりと無理しない様にね。車の運転もブッ飛ばしたらダメだよ」と言われたので、ゆっくり安全運転で白馬に向かいました。

地元の薬局でクーリング用にアイスノンを追加購入し、13時過ぎに自宅に到着しました

入院した時は、まだ一面雪に覆われていたのに、帰った来たら新緑に変わっていた
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ゆっくり荷物を運び入れて、洗濯したり片付けたりetc…。
それだけでもうヘロヘロ

そして同じく我が家に帰って来たほっちゃん。
久しぶりのわが家に大はしゃぎ

散々飛び跳ねて、着いて回って疲れたのか?布団で寝てしまいました
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時々出かける事はあるけど、コレからはまた一緒だよ(^^)

本当に、これからゆっくりでも体力を戻していかないとなぁ。
取り敢えずは生活が乱れない様に、病院と同じ生活リズムを守っていこうと思います。

4月20日、この日から本来なら全荷重となり、それが出来れば松葉杖もOFFできる様になります。


現状は…まだ1/2荷重にも到達出来ず
主治医からは、あくまでも「この日になったら全荷重掛けても良いよ。と言うだけで、掛けなきゃいけない訳ではないから、焦らなくてイイよ」と。

でも、入院生活も長期化してきたので、そろそろ帰らなきゃだし、目標を決めていかないと。

だけど、どこに照準を合わせていけばイイんだろう?
そこで頼りになるのは、東京の某病院の看護師で、退院支援をやっている友人2人
LINEでやり取りして、最後には遅い時間まで電話にも付き合ってくれました
2人の意見は満場一致別々にやり取りしてたのにさすがです。

受持看護師のI川さんとも相談し、取り敢えずは4月一杯を目標にするも、体調不良などで達成出来ず、次をGW明け(の週前半)としました。

その頃でも掛けられている荷重は1/2程度
片松葉にするにしてもまだムリなレベルです。
(片松葉の目安としては2/3荷重位)

でも、かれこれ松葉杖生活も5ヶ月目突入となり、自分としてはいい加減に松葉杖とサヨナラしたい。退院の時には、松葉杖無しで帰りたい
と言う思いが。

リハビリの方とも相談して、何とか目標達成出来る様にプランニングし、連休中も看護師さん付き添いのもと、歩行練習を続けました。

歩行練習を繰り返す事で、どの位荷重が掛けられているか?や、掛け具合を練習します。

GWももう終わりの週末金曜日。
どう頑張っても週の前半は厳しく、日勤で来たI川さんに週末頃にしてもらえないか相談し、予定を少し延期してもらいました。

本来なら退院のメドが立つと、地域包括病棟に病棟を移動しなければいけないのですが、その短期間で病棟移ってもストレスになるだろうから、それならココ(整形病棟)にいられた方がイイよね?と、おそらくI川さんが師長さんに掛け合って下さったのだと思います。
師長さんが何とか調整して下さって、そのまま整形病棟にいられる事になりました。

それでも体調の悪さと、あと少しと言う所でリハビリが進まない状況にモヤモヤし、イライラし、夜勤だったI川さんに会った瞬間にいろんな感情が入り混じって、せっかく部屋に来てくれて、話しかけてくれるI川さんの顔を見る事も、返事する事も出来なくなってしまい

遂には心配した師長さんが来て下さっていろいろ話して、その日は師長さんと歩行練習をすると言う、まさかの事態になったのでした

週末が近付き、歩行練習も佳境に。
ただ、日にちは近づくも、次回の外来やリハ通院については何の話もなく、イメージがつかない

この週は、I川さんが夜の人と化し日勤では会わなかったので、次に会ったのは木曜日の夜。
そこでもう少し話を詰めて、先生から受診のことなどを聞ける様にして下さいました。

で、問題はいつ帰るか
どうやっても金曜日はムリ。それに、リハビリも松葉杖なしと言う目標も達成出来てなくて、あと1〜2日欲しいと言う希望を伝え、月曜日にしてもらえないかと。
「まーた師長さん言われそうだけど…」と、交渉して下さったのですが、ベッド調整の事もあり、15日の日曜日に退院が決まりました。
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金曜日は、リハの担当さんが来られるかわからないと言う曖昧な状況で心配だったけど、夕方近くに来て下さって、遂に杖なし歩行の練習に

病棟を一周歩いて病室に戻ったんだけど、もう少し歩きたい。
そこへその日の担当看護師さんが訪室し、CPMやる?と聞かれたので「曲げ伸ばしより歩きたい」と伝え、一緒に歩いていただきました。

歩いている時Mさんから「入院中、痛みや吐気・下痢イロイロあったけど、何が一番辛かった?」と聞かれて。
症状としては吐気が辛かったけど(その時も続いてたし)、それよりも気持ちに身体がついて行かない方が辛いかな?と。

いろいろ話しながら歩いていたんだけど、この日は朝から血圧もサチュレーションも低く、歩いてるうちに顔が白くなり冷汗が
もちろんMさんもそれに気付いていたので、病棟2周歩いて病室へと戻りました。

入院最終日となった昨日(土曜日)。
膝の可動域はほとんど問題ないので、CPMをやるよりその分歩行練習にした方が…って事で機械は午前午後とも無しになりました。

午前中は(看護師さんが)バタバタで歩けなかったけど、午後はしっかり2周し、入院中最後の歩行練習を終えました。

いよいよ退院です。

翌日水曜日。
師長さんが部屋の調整を行って下さって、個室に移して下さいました。
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だけど男性主任から言われた「歩けなくても帰ってるからね」と言う言葉がその後も重くのしかかる事になり…。

この日、ちょうど術後3週間目となって、やっと体重の1/3の荷重をかけてとなりました。
でも痛みが壁となり、ほとんど荷重がかけられない

予定では、その日から1週間毎に1/3 → 1/2 → 2/3 → 全荷重と掛けても良い荷重量が増えていくのですが、翌週になってもまだ1/3も掛けられてなかったりでなかなか進まず、時間だけが過ぎて行きました。

と同時に、痛み止めの量の調整をしながら、痛みが軽く済む様にコントロールしていたんですけど、これがまた難しくて
止めれば痛みが強くなる。飲むと吐気と眠気でダウン

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常に気持ち悪くて、ごはんもいらない。
そうなると体力も落ちる…。

思う様に荷重が掛けられず進まないリハビリや、気持ちに身体がついて行かない事の苛立ち、本当に歩ける様になるのか?いつになったら歩ける様になるんだろう?と言う不安とイライラ

更には、前記事で触れた「入院前から精神的に不安定になっていた」原因でもあった、山岳資格の取得の断念。
学科は全て合格し、あとは実技のみと言う所まで来ていただけに、その悔しさやショックは大きくて、それだけでなく、このケガで今年予定していた事の全てを諦めなければならなくなった事など、様々な要素が加わり、そこに言われた「歩けなくても帰ってるから」の言葉のせいで、自分でもマズイなぁと思う程、更に不安定な状態になると言う負のスパイラルへ

そこにチョット何かが重なると、もう誰とも話せなく、話したくなくなってしまう程凹んだり…

そうこうしてる間に4月も半ばが過ぎ、GW目前の4月20日に全荷重可となりました。

まぁ、事件と言う程ではないんですけど

いろんな理由で大部屋が嫌いで、やっと信大での環境に慣れて来た所で、また何もわからない慣れない環境に転院しなきゃいけなくて、しかも隔離解除後に更にまたまた部屋を移動とかなると、ホントに落ち着かないしストレスだったり…etcで、個室希望をしていた私。

でも、病院にも都合があるし、その時は移動しなきゃだなぁとは思っていたから、普通に言われれば部屋移動も受け入れるつもりでした。

その日は早く来て、週明けの月曜日。
その日の責任者と名乗る男性が部屋に入って来ました。
そしていきなり「今日部屋変わってもらいますからね」と、超上から目線

いや、お前チョット待て
何だ?その言い方

患者に部屋移動を頼むにしても、もう少し言い方ってもんがあるだろうそれもいきなり来て。
「急なんですけど、今日大部屋に移っていただけますか?」って言われれば、コッチも納得するのに。

かなりムカついてたけど、取り敢えず話を続け、「こう言う(上記の様な)理由もあって希望しているので、空いたら部屋替えて下さい」とお願いしたら「一応、希望として聞いてはおきますけど、多分無理かなと思います」

更に話をして、最後にムカつきながら「私もそれまでに早く帰れる様にしますけど」と言うと、「まぁ、歩けなくても帰ってる(退院してる)人はいますからね」と抜かしやがった

ココでぶん殴ってやろうかと思いました。

免荷で松葉杖で帰る人がいる事くらい知ってるよ
こっちだって好き好んで転院した訳じゃないんだよと。

理由は別記事で触れますが、ただでさえ今回は入院前から精神的に不安定になっていて、そんな中で全く知らない病院への入院や手術、実は最初の診断より遥かに重症でリハビリが遅れたりしてることの不安や焦り、慣れた頃に再びわからない病院へ転院する事の不安etc。
そういう思いを持ちながらも、帰った時の環境や今現在の状態、少しでも不安を軽減させようと言う主治医の気持などを考えた上で、転院を受け入れたのに、「歩けなくても帰ってるから」って

その時の気持ちは「こんな病院に来なければ良かった」って言うのが正直なところ。

そのまま「まぁチョット調整はしてみます」と部屋から出て行き、夕方再び「今日は何とかこのままでイイですけど、明日は移ってもらいますから」。

怒り心頭のまま翌日を迎え、午前中リハスタッフの人に「すごいムカついてイライラしてる」と言ったら、そこから知らない間にその日の部屋の担当看護師さんに伝わっていて、理由を話したら、更に師長さんへ話が上がって、師長さんが話に来て謝罪されて。

午後には大部屋に移ったんだけど、やっぱり落ち着かなくて

その日の夜は、受持のI川さんが夜勤だったんだけど、とりあえず気持ちをリセットしようと思って、ずっと大音量でウォークマン聴いていたら、話しかけられているのにも気付かずに無視してしまいました(ゴメンなさい)

薬の吐気で食欲がなかったのに更に食べる気にならなくなって…。

消灯の前に、I川さんから「少し話ししても良い?」と言われ、前日の出来事などを話したりしてその日を終えました。

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